株式会社エイチ・エーエルの太田です。
今日仕事をしていたら、小嶺監督の訃報が届きました。
とたんに私のFacebookは、小嶺監督一色になりました。
ご存じない人のために、
国見高校では戦後最多6回の全国優勝。
早速、追悼のyoutubeがいろいろ発信されています。
これは、初優勝の動画です。
畑をつぶして、ライトバン2台で照明を作り、夜間も練習。
休みの日は、監督自らバスを運転して、全国行脚。
「九州のチーム」が首都圏や静岡のチームに勝つということは、その当時は夢のまた夢。
国立競技場・ベスト4の手前で首都圏や静岡のチームに負けてしまう島商は「エイトの島商」と言われていました。
そんな小嶺監督が国見高校に転勤の噂が立ち、当時サッカーが上手だった同級生は国見高校へ。
転勤してから、残された島商の生徒が全国優勝。
同級生は高校3年のインターハイで優勝、正月の全国大会は準優勝でした。
同級生がインターハイで優勝した翌日に、たまたま同級生と帰り道が一緒に。
「どこの大学ば受けるとね。東京ね。おいもがんばったけん、あたんもがんばらんねよ」
そのやり取りがどれだけ勇気づけられたか。私も間接的に影響を受けました。
九州の片田舎の高校から、情熱を持ち、バスを運転し、都会の学校に練習試合をさせてくれと頭を下げる。断られたこともあるでしょう。二軍を出されたこともあるでしょう。でも、愚直に繰り返して、全国の頂点に立つ。
その様子を、小学校の頃からずっと見てきました。
母のスナックにも来てくれたことが何回かあります。
島原の人たちに、夢と希望と自信と喜びを与えてくれた小嶺監督。
感謝。合掌。
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